今日で閉店する蕎麦屋の最後の客になって感じたこと
今までの思いが走馬灯のように蘇る。
彼らはどう思ったかは、僕たちにはわかるはずがない。
今日から4時間授業となり、電車に間に合うように学校から駅までの区間を急ぎ足で駆け抜ける。
どうにか間に合い、暖かい車内でふじっぺがこう言う。
「今日蕎麦を食いに行かないか。」
一瞬駅の立ち食い蕎麦でも食いたいのかと思ったが、時すでにに遅し。ここは電車の中だ。立ち食い蕎麦は学校の最寄り駅のホームにある。
話を聞いてるのどうやらその店は今日で閉まるらしい。ゲストハウスの物件探しも兼ねて、店の方と話したいそうだ。僕も思った用事はなかったので、この案に乗っかった。
深谷駅から5分ほどで着くようだが、はっきりと場所はわからないらしい。たわいもない話をしていると目当ての蕎麦屋についた。しかし、店主らしき方が暖簾を外していた。
慌てて声をかけると、少し待っててくれと言われた。数十秒後、2人前なら準備できるとのこと。営業終了後の片付けをしている中、お邪魔させてもらった。
店内は、古民家調の建物。リノベーションしたというよりかは、昔から大事に使ってきたといった感じ。壁にはたくさんの「長い間ありがとうございました。」と張り紙があった。
従業員は7,8人でみな70過ぎのおじいちゃんおばあちゃん。
なぜこの店に来たのかと聞かれたので、ふじっぺが説明する。僕はこういった時はいつも黙って見守るようにしている。なぜなら、彼が相手に思いを伝えている時に干渉したくないからだ。また、自分とは異なる意見や主張する時に、彼の少し変わった思いなどを聞いて参考にしたいと思っているからだ。
一通り説明が終わると店主は厨房に戻り、蕎麦の準備をする。
数分すると蕎麦ができあがった。最初の一口はそばだけで汁はつけないで食べてみた。蕎麦の透明度から二八蕎麦といった感じ、味もそんな感じがした。汁は少し醤油がつよく、返しがきいてる。個人的には好みの味だ。その後も、蕎麦の味と店内の雰囲気を味わいながら、会話もせず黙々と食べ続ける。こんなにも様々な感性を生かしながら蕎麦を食べたのは初めてかもしれない。
僕の方が少し早く食べ終わり、蕎麦湯を飲んでみた。濃厚な蕎麦湯が汁によく合う。スタッフのおばさんがお汁粉までサービスしてくれた。今まで甘すぎるので敬遠していたが、ここのは美味しかった。
片付けも終わり賄を食べている中の会話で「ああ、今日でこの店も閉めるのか。」「旅行はどこに行く?北海道がいいんじゃない?」「雪が凄いから今はいけないでしょ。」
「打ち上げはどこに行く?」「ハンバーグ食べに行こうよ!」「なら熊谷のグリルKがいいんじゃない?」「”K”ってどういう字書くんだっけ?」「アルファベットのだよ、グリルはカタカナ」
最初の方は、店の閉店に寂しさがあるような感じだったが、途中から打ち上げの話にもなってきて、老後の余生を楽しみにする様子もうかがえた。(”ハンバーグ”は驚きだったが。)
そうこうしていると彼も食べ終わり、ペンを取り出した。なにやら置手紙をするようだ。内容は帰り道でもあえて聞かなかったが、最後の「ごちそうさまでした。」は見えた。最後の晩餐をこれ以上邪魔するのも悪いので店を出ることにした。
率直な感想としては、こんな素晴らしい店を取り壊すのは非常にもったいないし、建て壊しを中止もらえないのかと思った。しかし、深谷市の区画整理で立ち退きが決まっている。便利の裏には、こういった人々の思い出を消し去っていることに、心が痛んだ。
しかし、彼らの笑顔に悔いはないのだと思う。
久しぶりにふじっぺと帰ってきて、一緒に飯を食った。だけど今回は人の暖かさを感じることができた。受験の時は毎日の勉強で精一杯で心が疲弊していた。その心に人情が癒してくれた。帰り道彼は、「日光を思い出すな。」と。確かに、受験で忙しくなる前に僕らは人々にいろいろとお世話になってきた。それを今日改めて思い返すことができた。
僕も近々旅に出る。またあの感動を探しに行こうと思う。